源平の合戦の折、都を追われた安徳天皇と平家一行が、門司区大里周辺に御所を築いたのが1182年。その際に、里人は平家一行の疲れを癒すため、御所の南西にあった「鏡ヶ池の玉水」を風呂の水として用いました。それ以来、この場所は「風呂の井戸」として伝えられています。その後、“風呂”が転じて“不老”に変わり、不老町や不老通りとしてその名が残っています。 現在はポンプが設置され、未だその下には約800年前の水があります。
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