平安時代末期に起きた源家と平家による源平合戦の際、門司区大積の浜に打ち上げられた平教経(たいらののりつね)の奥方の遺体を里人が葬り、碑を建立したと伝えられる場所。この戦いの際、多くの平家一門が亡くなり、海底に沈んだ武士は平家ガニに、女官たちはカッパに化身したといわれています。海御前とはそのカッパの総大将のことです。春になるとカッパ群は、各地の池や川に散って源氏の子孫を悩ましていたなど、悲しい伝説が残っています。
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