北九ツウ 鈴木商店の栄華と近代化遺産をめぐる ~門司・大里~ 鈴木商店の栄華と近代化遺産をめぐる ~門司・大里~

北九州の通なハナシ「北九ツウ -KITAQTSU-」鈴木商店の栄華と近代化遺産をめぐる ~門司・大里~

鈴木商店の栄華と
近代化遺産をめぐる
~門司・大里~

大正~明治~昭和と日本の近代化を支えた北九州の産業技術。
現在も産業界をリードする一流企業の源流に触れる、門司・大里まち歩き。
官営八幡製鐵所を含む「明治日本の産業革命遺産」のユネスコ世界遺産登録にも
尽力した"北九ツウ"がナビゲートします。

大正~明治~昭和と日本の近代化を支えた北九州の産業技術。現在も産業界をリードする一流企業の源流に触れる、門司・大里まち歩き。官営八幡製鐵所を含む「明治日本の産業革命遺産」のユネスコ世界遺産登録にも尽力した"北九ツウ"がナビゲートします。

Guide 市原猛志さん

市原猛志さん
九州大学・百年史編集室助教、九州国際大学非常勤講師、北九州市門司麦酒煉瓦館館長(非常勤)。
近代建築を中心とした近代化遺産・産業遺産の研究で知られ、北九州産業遺産の第一人者

市原猛志さん

市原猛志さん
九州大学・百年史編集室助教、九州国際大学非常勤講師、北九州市門司麦酒煉瓦館館長(非常勤)。近代建築を中心とした近代化遺産・産業遺産の研究で知られ、北九州産業遺産の第一人者

大里町歩きMAP

大里町歩きMAP 大里町歩きMAP

大正~昭和初期に栄えた幻の新興財閥「鈴木商店」

JR門司駅から小森江駅周辺の、特に線路より海沿いのエリア。赤煉瓦の古い建物が多いですよね。門司駅前の門司麦酒煉瓦館を含む建築群「門司赤煉瓦プレイス」など、観光地や商業施設として保存・活用されている建築物もありますが、今でも現役で倉庫や工場として利用されている建物も多くあります。これらの煉瓦建築のほとんどは、三井・三菱財閥と並ぶ大企業として大正期の時代を担った「鈴木商店」の関連企業の建物です。
鈴木商店は「商店」という名称がついてはいますが、製糖・製粉・ビール・製鋼などの事業を展開した総合商社でした。経営を任されていた大番頭の金子直吉さんの手腕により、最盛期には日本一の売上げ(日本のGDPの約13%)を誇り、日商岩井(現・双日グループ)をはじめ、神戸製鋼所、帝人など数十社の企業の源流となった新興財閥です。その鈴木商店の痕跡が日本で一番残っているのが、関門海峡を挟んだ両岸一帯ということになります。

本社を神戸に置く鈴木商店が、なぜここ門司・大里に目をつけたのか? その一番の理由は、この場所の便利の良さでした。大里地区の北側に明治22年に国際貿易港として門司港が開港。その2年後には現在の門司港駅も開業し、大手財閥が競って進出してきました。その門司港に近い大里は、鉄道で原材料や製品を運ぶことができ、船を使っても運ぶことができる。さらには門司港から外国に輸出することも可能。八幡製鐵所の誘致の際に最終候補地のひとつに含まれていたほど、大里エリアは魅力的な場所でした。惜しくも製鐵所の誘致には至りませんでしたが、製糖工場の建設地を探していた鈴木商店の目に留まり、明治36年に鈴木商店大里製糖所(現関門製糖)ができました。

以降、大里製粉所(現日本製粉)、帝国麦酒(現サッポロビール)、大里酒精製造所(現ニッカウヰスキー)、神戸製鋼所(現神鋼メタルプロダクツ)、日本冶金(現東邦金属)、大里製塩所、大里精米所などを設立。大里の臨海部、そして対岸の下関までが鈴木商店が築いた工業エリアとして発展してきました。

旧鈴木商店大里製糖所 / 旧大里製粉所倉庫 写真
  • ●【上】 旧鈴木商店大里製糖所(現関門製糖)
  • ●【下】 旧大里製粉所倉庫(現ニッカウヰスキー門司工場倉庫)
写真
  • ●鈴木商店の大番頭、金子直吉さんの伝記によると「大川の豊富な水を使って砂糖を生成することは容易である」と書いてあります。現在は上流で取水しているから、水量も少ないんですけど、昔は違ったんでしょうね。
北九州市門司麦酒煉瓦館 写真
  • ● 北九州市門司麦酒煉瓦館(旧帝国麦酒事務所) 大正2年竣工

 明治末期に国内のビール需要が飛躍的に伸びましたが、当時、大阪の吹田から西にはビール工場がありませんでした。九州での需要が見込め、なおかつ大陸・アジアに輸出しやすいところとして、この大里に九州で最初のビール会社、帝国麦酒株式会社が誕生しました。鈴木商店の金子直吉さんは、ほとんど酒が飲めなかったそうですが、このビールを片手に「本場ドイツ仕込み」と販売を行ったと言われています。
門司工場事務所として建てられた門司麦酒煉瓦館の外観は、ほかの建物と違い、ちょっと茶色っぽい煉瓦が使われています。鉱滓こうさい煉瓦と呼ばれるもので、製鉄の際、鉄鉱石を溶かした時に出る副産物・スラグを圧縮して水分抜いて作った「焼かない煉瓦」です。官営八幡製鐵所のお膝元ならではの建材といえますね。現在館内は、帝国麦酒やサッポロビール九州工場の歴史などについての展示室と貸しギャラリーになっています。

旧サッポロビール醸造棟のいちばん高い部分は7階建てです。昔は「浅草十二階」と呼ばれた建物が東京にありましたが、大正12年の関東大震災以降は煉瓦のみの高層建築には規制がかかってきたので、煉瓦造りでこれほどの高さがある建物を建てられたのは、大正期ならではです。いちばん下の基礎部分においては1メートルほど壁厚があります。上の荷重を支えるためにそれだけの厚みが必要だということです。
 なぜこんなに高さがあるのか? これは当時の電力事情が大きく影響していました。大正時代、まだ一般家庭用電力は一部しか普及していませんでしたし、電圧も不安定。そんな中少ない電力で効率よくビールを作る方法を考えた結果がこの高さになるんです。

旧サッポロビール醸造棟 写真
  • ● 旧サッポロビール醸造棟(旧仕込場)大正2年竣工
  • ※ 年に2回程度一般公開されます
作業工程 写真

 建物の階段の内側には荷物運び用のエレベーターがありました。ホップや米、コーンスターチなどの原材料は、まずこの荷物運び用のエレベーターで一気に最上階に上げます。そのあとは、作業工程を経るごとに1フロアずつ落として次の作業場に運ばれる。つまり、重力を活用したエコな仕組みで作るために、高さが必要になったということです。

麦汁ろ過器 写真
  • ●大正5~8年頃に輸入され、昭和40年代前半くらいまで使われていた麦汁ろ過器。平成12年に工場が閉鎖された後もそのまま残されています。

豊前大里宿・長崎街道沿いに残る
鈴木商店の軌跡

江戸時代に整備された長崎街道。山陽道・下関への渡し場が大里にあり、この地は宿場町として発展しました。第二次長州征伐で大里宿が主戦場となり、ほとんどが焼けてしまいましたが、現在でも当時の道幅や町並みの一部を見ることができます。小森江方面に旧街道、国道199号線を行くと、製糖・製粉・醸造工場などの工場群を作った鈴木商店の当時の建物が見られ、鈴木商店の流れを継ぐ関連企業が今も稼働を続けています。

松の木
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門司赤煉瓦プレイス施設群

JR門司駅そば

北九州市門司麦酒煉瓦館(旧帝国麦酒事務所)国登録有形文化財
住所 北九州市門司区大里本町3-6-1
電話 093-382-1717
入館時間 9:00~17:00(受付16:30まで)
入館料 大人100円(中学生以下50円)

旧サッポロビール醸造棟 国登録有形文化財

赤煉瓦写真館(旧変電所)国登録有形文化財

赤煉瓦交流館(旧倉庫棟)国登録有形文化財

松の木
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松の木

この街道ができた時に松並木も整備され、今も門司麦酒煉瓦館前に残るこの松は樹齢350年以上。サッポロビールが所有していた時に市の保存樹となりました。

旧大里倉庫
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旧大里倉庫

現岡野バルブ製造株式会社第二機械工場。線路の向こうに見える岡野バルブ所有の煉瓦の建物は、鈴木商店大里製糖所の製糖原料輸入を行う直属企業として設立された「大里倉庫」という倉庫会社の施設でした。

旧島津邸
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旧島津邸

この地区に残る代表的な建物の1つだった旧島津邸(現在は大部分が解体)。塀の前に馬の乗降に使うための石があるのが、宿場町の名残りでもあります。

佛願寺
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佛願寺

山門の前に敷き詰められた煉瓦には、丸に"チョン"が3つのマークが刻印されています。鈴木商店が建てた工場に使われた煉瓦は、大阪窯業という会社で作られ、瀬戸内を通って運ばれてきました。このマークは大阪窯業の「丸に大の字」が簡易化されたもの。日本製粉やニッカウヰスキーの工場の一部、サッポロビールの工場を一部壊す時にもこのマークの煉瓦が出ています。鈴木商店の栄華の一部は、こういった場所にも残っています。

関門鉄道トンネル試掘坑道竪坑
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関門鉄道トンネル試掘坑道竪坑

小森江駅に隣接する駐車場にある、かまぼこ状の構造物。これは昭和14年にできた関門鉄道トンネルのパイロット坑の入り口です。関門鉄道トンネルは、世界初の鉄道海底トンネルとして当時の最新技術を結集してつくられました。排気口のそばで耳を済ましていると、電車が走る音が聞こえますよ。

鈴木商店についてもって知りたい方はこちら

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