この松並木は、江戸時代に徳川幕府が全国の街道に松や杉を植樹させた名残である。
江戸後期の狂歌師大田南畝(蜀山人は別号の一つ。寛延2年~文政6年=1749~1823)は「坂を下るに赤土の岸あり。松の並木の中をゆくゆく坂を上り下りて、又坂を下りゆけば、左に黒崎の内海見ゆ。」とその紀行文(小春紀行)にこの松並木あたりの描写をしている。
昭和20年頃までは黒崎から木屋瀬にかけて、街道には多くの松を残していたが、今はわずかにこのあたりが昔日の長崎街道の面影をとどめている。
ที่อยู่ | 北九州市八幡西区岸の浦二丁目6番ほか |
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URL | (日本語) https://www.city.kitakyushu.lg.jp/shimin/02100253.html |
ค่าธรรมเนียม |