僧清虚(そうせいきょ)の像

历史 史迹 / 游学

天保7年(1836)大分県国見町出身の僧 「清虚」は、高野山へ修道に向かう船中、部埼周辺の海が暗礁が多く航海の難所となっていることを知り、「何とか多くの命を救おう」と、下船してこの地で船の道標となる火を焚き続けることを決意しました。
清虚は日中に托鉢で得た糧を焚料の買い入れにあて、一日一食の生活を続け、74歳で亡くなるまでの13年間、雨の日も風の日も、読経とともに火を焚き続けたのです。 その後、部埼灯台が建設されるまで、清虚の偉業は村人により引き継がれました。
昭和48年(1973)には、地元有志により、灯台の袂、僧清虚の像が青浜海岸に建立され、航海の安全を見守っています。
また、灯台後方の山頂付近にあった清虚の火焚場は大雨により失われていましたが、平成20年、清虚が松明を灯し始めてから170周年を記念して、「僧清虚顕彰会」により復元されました。

地址北九州市門司区大字白野江
交通西鉄バス「白野江」下車徒歩約35分 車:北九州都市高速春日出口より約25分